喫茶 まほろば
2014-07-20T03:45:13+09:00
nekotohana
たらたらつらつら ゆらゆら
Excite Blog
すごい久しぶりだな
http://opana.exblog.jp/20015353/
2014-07-20T03:45:52+09:00
2014-07-20T03:45:13+09:00
2014-07-20T03:45:13+09:00
nekotohana
その他
こんな若気の至りみたいなブログの存在自体ほとんど忘れていたし読まれたら布団の上でうーー!うーー!と叫びながら真っ赤になってじたばたするくらいはずかしいことばっかり書いているから消去してちょっとかっこよく文学的に(笑)もういっかい最初から書きはじめたくなったけどそんなことしたってどうせまた数年後には恥ずかしくて消したくなってるはずだし、だからまあいいかと思って残しておく、そしてまた時々思い出したように書こうかな。とか言っても次の更新が数年後とかもありえる。]]>
感慨深い
http://opana.exblog.jp/13070084/
2011-07-13T03:16:28+09:00
2011-07-13T03:16:27+09:00
2011-07-13T03:16:27+09:00
nekotohana
その他
22歳なんてけつが真っ青だったなあと思うけど、今だってまだまだけつが真っ青な気がしています。いつになったら大人になるのかな〜とか言うけどこれは冗談じゃなくて!だから笑わないでほしい。]]>
つぶやき
http://opana.exblog.jp/13070064/
2011-07-13T02:57:53+09:00
2011-07-13T02:57:53+09:00
2011-07-13T02:57:53+09:00
nekotohana
つぶやき
今日はjにキャンバスはってもらって明日はBIUTIFUL観に行く。ハビエル・バルデムってすごい役者だよねえってjと話す。ハリーポッターのスネイプ役も彼のほうがよかったんじゃないかって言ったんだけど、彼がスネイプ役だったら他の役者ぜんぶ食っちゃうからねえって〜う〜ん納得。
あ、アランリックマンのスネイプも大好きなんだけど。で、そういう他の役者をくっちゃうタイプの役者さんってつかいどころが難しいのかな。宮廷画家ゴヤは見たでも、顎がはずれたおかしな顔して狂ってるナタリーポートマンよりも、やっぱりだんぜんやばかったもんなあ。
ネットで画材を買う。やっぱり画材ってけっこう高いなあ。まあここでけちるわけにはいかないからケチらないけど、ほんとはチラシの裏でもいい気がする。ペーパーナプキンでもノートの切れ端でもなんでもいい気がする。
桂川〜もうすぐ向日町(最寄り駅)すごく固そうな入道雲がある。
jにななちゃんは感受性がゆたかだからーとよく言われるんだけど、わたしはほんとうにふつう。ただみんな鈍感すぎやしないか?とはよく思うから相対的にみて?でもやっぱりほんとにふつう。
そういえば30まで学生やる、というのが目標だったんだけど、これ言い換えると30まで就職しない。ということだったんだよね、で、28だけど全然就職する気配なし。うーん私の人生、計画どおりね。というか人生って一度しかないのに就職して定年まで働くってこわくない?わたしはこわい。
18時間寝たけど、22時間起きてたらまた眠くなったよ。ああ人生!わたしの人生!って感じ。
いつか広くてクーラーのあるスタジオでドレス着て描きたい。天窓があって三角屋根で風見鶏のいるスタジオで渡り廊下で家につながってる。庭が広くていろんな雑草がはえてる。猫がその隙間から顔をだすのをほおづえつきながらみている、あの美人がわたしだよ!
ガスト。隣の席の高校生男子がぶすな女の子の悪口言ってておもしろい。あいつの巨乳は無駄な巨乳。
大きい広い括りで話す人が苦手なんだと気づいた。性別血液型国籍〜。そういう話ってだいたいおもしろくないし。でも縄文系弥生系だけはけっこう好き。なんだかロマンを感じる。
刑事コロンボが死んだ。アーノルド坊やも死んだし、死んで久しぶりに思い出してまた忘れる。絵が完成と思いきや完成しなかったのが切ない。駐車場に咲いたくちなしがいいにおいだった。
髪の毛がほんとにふつーのショートカットで気に入らんこともないけどほんとにふつう。と思ってたらt君におもひでぽろぽろの小さな子みたいだと言われてきゅうにきにいった。それでそういうことをサラリと言ってのけるt君ってもてるんだろうなあと思った。
あのころ信頼できる大人がそばにいたら何かが違ったのかなと思うけど、べつにまああんまり変わらないかなともおもう。もう学生でもないけど未だに不登校児みたいな気分でいる。いろんな大人がいたなあ。みんな元気でしょうか。
私の甥っ子は天才でまだ一歳なのに鉄棒にぶら下がることができる。彼の父(私の義理の兄)は体操の元国体選手で、やはり血筋というものがあるのだよ。と思っていたら室伏は一歳で逆上がりが出来たらしい。キモっ!
ふすま殴って穴開けたら怒られた。
わたしは数十年後死にます それはもう絶対的に。かあ〜。ほんとだなあ。春樹の小説の中の100年後にはわたしがいたことを覚えている人なんていないんだと話す女の子とか、町田町蔵だったっけ、誰か歌うたいがライブで100年後今ここにいる人たちは全員死んでいるんですねーとか。
家に帰って来た、スタジオの一階の電気が消えてたのに、物音が聞こえて鍵もしまってなかったから、びくびくしながらのぞいたらs君が寝てた。プチプチにくるまって。
わたしが保坂和志が好きなのはああでもないこうでもないとこねくり回した挙句〜と言えるのではないだろうかと一応の結論らしきものを呟き(発言とは言えないほどささやかに)それらが猫のあくびやらにかき消されてゆくこと。ポイントはやはり猫のあくびである。
よく犬と猫と比べて猫は表情が少ないと言われるけどそんなことはなくて、嬉しいけど嬉しくないような顔をしておこうという表情や気に食わないけどまあどうでもいいとか、ほんとにどうでもいいとか、そういう何かと何かの間の微妙な表情、つまりただの喜怒哀楽をこえた繊細な仕事が猫にはできる。
犬なんてベロだらーんで、しっぽふりふりして、目をひんむいて、ぎゃはー!うれしいぜー!という顔をするけど、猫は口元をほんのすこしゆがませるとかそういう繊細で美しいことができる。ほんとにいい仕事してますねーって感じ。つまり、なんというか、猫派。
まあ犬も好きです。
昨日はほんとにスゴカッタなー!23時間くらい寝たよ。
ハナちゃんの爪がいっぽん長くとがってのびてて、太ももに刺さって痛かった。この不良娘!と言ってぐるんとひっくりかえして爪を切った。いやーんと言ってた。
化石のことを考えてた。ずーっと未来には日本だったらだいたいが荼毘にされるからバラバラで人間の化石がなかなかできなくて、殺された人とかが時々化石になって、フィンランドとか土葬の国からはばんばん人間の化石が発掘されて、だから日本はあんまり人が住んでなかったんだって思われる。
久々に油絵描いてる。絵の具やオイルが化石みたいになってた。
ブラックスワンこわかったな〜。ところどころ、いてえ!ってシーンがあり目をそらした。雨がざんざん降りで潜水艦みたいだねえと言いながら車を運転してた。だから空は水面。
ファイナルファンタジー3に出てくるタナトスっていう敵のデザインがそうとう好き。首のない馬にまたがった首のない女の人で片手に生首持ってる。っていうすばらしい形。もうこれで一枚絵が描けるんじゃねーのっていうくらいしゃれてる!
ファイナルファンタジー3のクリスタルのお城みたいなところにいるんだけど、迷路みたいだし広くって自分がどこにいるんだかぜんぜんわからん。どっちに行けばいいのかもさっぱりわからん。ザンデって名前だけでなんとなく悪いやつだってわかるよねー。
だめだかんぜんに迷った。行けども行けども宝箱のふたがあいておる。
ネコが冷蔵庫の扉を開けた!こらって言ったら、「え、、?ええ?私?」って顔をしてハナちゃんのほうをちらちら見た!こうやってまたハナちゃんのせいにしてる!ちゃんと開ける瞬間を目撃したぞ。おまえだよおまえ。
ネコは性根が悪くて、しょっちゅうこういうことがある。ハナちゃんは普段いばっているけどネコが元気なかったり下痢だったりするとすごく心配してぺろぺろなめたりするのに、ハナちゃんが元気なくなったり下痢したりすると、ネコはここぞとばかりに威張って噛み付いて天下とりにいく。
父からの電話で起こされた。投資信託がどうのこうの?言ってた。よくわからないから、姉にパス(そういう話はあーちゃんにしな)と言う。そしてjとはやく結婚しろ。歳をとってから捨てられたら痛いぞと言われた。ひでー。そしてほんとによけいなお世話すぎてびっくりした。
絵が完成したー!i君(高校の同級生)に同窓会で会ったときに、絵かきしてるのって言ったら、誰かの愛人なのか?と聞かれたことさっきフラッシュバック。そんなイメージ!?と思ってずっこけた。こんな女誰も囲わねえよ。
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一日
http://opana.exblog.jp/12829609/
2011-06-11T07:58:31+09:00
2011-06-11T07:58:31+09:00
2011-06-11T07:58:31+09:00
nekotohana
その他
いちにちという区切りが長時間の睡眠と長時間の制作のせいでよくわからなくなっている。起きる時間は目がさめた時にはじめてわかるし、単純な昼夜逆転というのとは違う。一日ごとにずれたりひっくりかえったりそれこそブリッジみたいになったりとても複雑だ。
今日は今から制作しようかと思ったんだけどボイスのさわこさんの展示が今日までなのに気付き、jが起きてくるのを待って一緒に観に行こうかともおもう。さっき久しぶりにお風呂にはいった。
作品の写真とってなさすぎてこまる。わたしの顔の写真もろくなのがない。これ、定期的に困っているのに、またヤッチマッタ。できるだけ大きいサイズの画像を送ってくださいとたのまれたのに、写メールみたいなレベルの写真を送った。てーい!これじゃだめならギャラリーにメールしていい写真ととりかえてくださいすみませんとメールする。もうほんとすみません。ぼろぼろいろんなものをこぼしながら生きてます。
だけどこういう人でもいきててもいいしこういう人も世界は守ってくれたっていいじゃないかと考えたりもするけど、やっぱりほんとに自分がだめすぎてぽかぽか頭を殴りたくなる。そろそろこりろやー。おいふうのー!]]>
春樹スピーチ全文
http://opana.exblog.jp/12828612/
2011-06-11T03:47:03+09:00
2011-06-11T03:47:02+09:00
2011-06-11T03:47:02+09:00
nekotohana
その他
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。]]>
少々閉じて
http://opana.exblog.jp/12803773/
2011-06-09T03:06:09+09:00
2011-06-09T03:06:09+09:00
2011-06-09T03:06:09+09:00
nekotohana
その他
色とか線とか質感とか構図とかいう画面を構成する要素はあるけど、いつもひとつかふたつくらいしか満足のいく出来にはならない。質感はおもしろくできたけど、色と線と構図はだめだな、とか、色はすてきに塗れたけど、質感と線は話にならないな。とか。あっちができたらこっちがぼろぼろと。絵はむずかしいな。でも楽しいよ。さて明日もがんばりますかね。長い長い睡眠のあとで。]]>
おもうところが、あった、なかった
http://opana.exblog.jp/12791963/
2011-06-08T10:41:11+09:00
2011-06-08T10:41:11+09:00
2011-06-08T10:41:11+09:00
nekotohana
その他
きのうは
http://opana.exblog.jp/12776518/
2011-06-07T02:03:20+09:00
2011-06-07T02:03:19+09:00
2011-06-07T02:03:19+09:00
nekotohana
その他
だいたいや、いつだったかや、たしか、が多くてまったく説得力がない。しかし記憶というのはそういうものでできているなとおもう。事実を時系列にならべてもほんとうからずるずる離れていくだけかもしれない。]]>
みてないことにした
http://opana.exblog.jp/12760574/
2011-06-06T06:25:39+09:00
2011-06-06T06:25:35+09:00
2011-06-06T06:25:35+09:00
nekotohana
その他
。
http://opana.exblog.jp/12650797/
2011-05-25T06:38:28+09:00
2011-05-25T06:38:27+09:00
2011-05-25T06:38:27+09:00
nekotohana
その他
おもったこと
http://opana.exblog.jp/12626012/
2011-05-22T06:29:24+09:00
2011-05-22T06:29:20+09:00
2011-05-22T06:29:20+09:00
nekotohana
その他
だけどアートフェアだから値段がけっこうわかりやすく書いてあったりして、それにもうそもそもの情報量(作品数もジャンルも)過剰だから、ふだん美術鑑賞しているときの脳みそのシナプスがちかちかする部分とは違う部分がちかちかしてる感じがした。ぜんぜんよくないと思う作品もあったし、おっ!と思うものもなかにはあったけど、それってどう違うのかうまく説明できないんだけど、絵だったらわかる、気がしてる。あれって、なんなんだろうなあ、一瞬でわかるものなあ。一秒足らずで判断できる(というわたしの判断が絶対正しいかと言われたら知らんが)ぱっ、ぱっ、と、絵が目の前にあったら「いい」「わるい」「わるい」「ふつう」「いい」「わるい」「わるい」と、誰かに言うつもりはないけど一瞬で言える。言わないけど。
評価できる作品と好きな作品というのも違うし、それで好きな作品ってほんとにすくないな〜と今回あらためて思ったんだけど、好きな作品に出会えたときはほんとにうれしい。やっぱり絵はいい。今回で言えば、あれとあれは欲しかった。]]>
長い文章を書く練習
http://opana.exblog.jp/12553056/
2011-05-11T05:29:10+09:00
2011-05-11T05:29:09+09:00
2011-05-11T05:29:09+09:00
nekotohana
その他
今日さえちゃんと会って話して別れたときに喉がかわくように小説が読みたくなって閉店間際の本屋に走ってった。
むかし、さえちゃんと2人でサイゼリヤで小説を書いてときどき見せ合ってた、あれはほんとにしみじみよい時間だったなあ。
やっぱり長い文章を書くというのは練習とか慣れとか体力とかいろいろ必要で、文集でもつくりたいねえ!ってさえちゃんと話した今日からまた練習とか慣れのためにこことかテキストエディットとかにすこしずつ書いてみようと思う。
小説家になりたいとかかんたんに言ってまあひどい文章ばっかり書くからほんとに恥ずかしくて死にそうだけど、画家ですとか言ってひどい絵ばっかり描いてるし、もうなんと恥の多いわたし!ぜんぜんコリネー!]]>
なんのこっちゃ
http://opana.exblog.jp/12547311/
2011-05-10T05:27:44+09:00
2011-05-10T05:27:43+09:00
2011-05-10T05:27:43+09:00
nekotohana
その他
なんだこの文章も。]]>
メモとしてのつぶやき
http://opana.exblog.jp/12547306/
2011-05-10T05:21:00+09:00
2011-07-13T02:39:53+09:00
2011-05-10T05:21:37+09:00
nekotohana
つぶやき
今日は下地だけ塗ろう。。。ピューターと黒を混ぜた最近はやりの鉛筆色にしよう。黒にもいろんな種類があっていろいろ試しに買ってみたけど違いがわからない。ジンクホワイトとチタニウムホワイトくらいの違いがないと私みたいなんにはわからん。
だけど最近ぜんぜんかわいいものが描けなくなってたからうれしい。自分が見たいものを描く。が、そもそものはじまりだったような気がするし。ねー、猫のいびきとかひなたとか風が吹いて木の緑が揺れるとかそういうもんで出来上がっていてほしいものだ私が。根暗をどうにかおっぱらって
そうめんを食べたら麺が歯列矯正のワイヤーに複雑にからまった。ちょっとしたマフラーくらいなら編めそうな感じに。
父から電話あって車買ってくれるっぽいこと言ってたけど、車はいらないから現金が欲しい。父の声が元気ないし、体調も悪そうでつらい。現金が欲しい。もう静岡に帰ってくるつもりはないんだな、って声が小さくて悲しい。帰らないし現金が欲しい。
爪を切った。夜、親の前で爪をぱちん、ぱちん、と切るシーンが冒頭の小説なんだったっけ。たんたんとした描写がよくかけてた。さて私は(さらに)口笛も吹くか。
きったない雑種の犬がフリフリの服着て愛されるのがあたりまえっていう顔して歩いているのを見ると妹のことを思い出す。
って、さっきのツイートは冗談だったけど、浮腫ってつかえるかも。むくみ、って響きだけでは柔らかくてかわいらしい女の子の名前みたいだし。漢字は不気味だし。
むくみって漢字でかくと大げさだなー。浮腫。瘡蓋(かさぶた)もそれが気にいってつかった。次の題名きまり!花の浮腫!(ウッソー!)
↓嘘じゃないよ、比喩じゃないよ!なによ!そうよ!はさすがに言わないけど、猫はニャー以外の言葉も喋る。
今朝宅配のお兄さんが来たときに、はなちゃんを見て、普通の三毛猫より白い毛が多いところがとってもきれいで、こんなかわいい猫見たことがない!と言われて、はなちゃん、なによ!そうよ!って顔してたくせに、お兄さんが帰ったあとにしっぽを真っ直ぐ上げて「ルンルーン」と言ってた!
ひとつは好きな歌詞、あの魚がひかってみえるのは傷ついて剥がれ落ちたうろこが揺れるから。にしようと思ってたんだけど、そのあと、あいつは海になりました。と続くことにハッとして、目の前にごーっと津波がくるような感じがして喉がぐうと鳴った。
川上弘美の「ゆっくりさよならをとなえる」もいい題名だなっておもって口の中でときどきころがす。きのうから題名について書くのは2度目だけど、なんでかっつうと、絵の題名がぜんぜんきまってないから。
城山三郎の、そうか、もう君はいないのか。って題名だけで泣けるっていうかもう題名だけでお腹いっぱいって感じ。(つまり未読)読んでもないくせに、ちょいちょいこの題名を思い出して胸をぎゅっとさせる。
レバ刺しが食べたい。ごま油と塩の組み合わせってほんとすごい。天才。
おきてるけどいそがしいから電話してこないでねー
ねるからだれも電話してこないでね
いま描いてるやつ、もう完成したやつ、ぱっと写真とって、どう?って呟いてみたいきぶん。しないけど。みんな1人で描いて1人で見きわめているのね。。それって怖くない?わたしはこわいな。
明日は(メディウム塗ったあと)金色の絵の具探しの旅だ。なんかRPGみたい。銀色はほとんどのメーカーのを試したからどれがどんな色味で粘り気や隠蔽力がどうとかよく知ってるけど、金色はまだ全然知らないな。いい金色に巡り会えますように。
今日kさんと話した。大きくてふかふかした蛾が部屋にいて、その子をティッシュでかるくつかんだら、感触は小鳥だった。という話がリアルすぎてすーっと頭の先から指先までが冷えた。
想像力の限界のせいか何万人行方不明とかたくさんの人が亡くなったとかきいても泣けなかったな。だけど置き去りにされたペットのことを考えるとすぐにうるうるする。猫。。こんなにいろんなことがあった三月のことをうちの子たちはなんにも知らない。頭が小さいからなんにもわからない。いとしい。
恋愛とかアイロンかけるとかが好きだったらよかったのに。とかももちろん。
将来のこととか考えると不安になって仕方がない。社会に適合したいのにぜんぜんできない。絵なんて好きじゃなければよかった。コピーとるとかファックスおくるとかお茶をくむとかが好きだったらよかった。しかしOLのイメージのこの貧困さ!
ドイツにスーツケース一個もって、いつ戻ってくるかわからない旅に出たnが私が大学生の時に描いた絵をその中に詰めてってくれたのがほんとにうれしかったな。
デマリツイートをしょっちゅうして、マスクが品切れになったらマスクを買いに走り、トイレの神様に号泣の彼が原発心配ないぜと言うからすごく心配。
停電ベイビーがたくさんうまれるのは生き物の自然なことかもしれないねーってその子と話した。わたしは身軽でどこでだって生きて行けるんだよ。ってその子が言ってて、自分に言い聞かせているのかもしれないけど、わははーと笑ってたのがよかった。
雪の上でおしっこするの大好き!
雪ーー。車で夜雪の中はしってると、雪がわー!とこっちにむかってくるのがおもしろい。ハイビームにするとさらにこっちくる。
ガストでおばさんにほめられた。仕事?趣味?ときかれて、ちょっと口ごもりつつ、しごとです。と答えたら、そういう感じやわ。趣味の人より上手やわ。といわれた。お、ありがとうございます。
セブンイレブンの焼きたて直送便のシナモンデニッシュはあたためて食べるとほっぺたが落ちるよ。
二月ってほんとにあっというまに逃げてく。たった数日なのに体感では一週間くらいの違いに思える。びゅーっと逃げていく二月のしっぽをつかまえて地面にビタンビタンやりたい。泣いたって知らん
おれはねこだぜ(絵本)を読むときにわたしあの猫のことを嵐のまつじゅんにあてはめて読んでしまうんだけど、そうすると心がぼーっとあつくなる!きもいですかね。
猫の散歩道読みたい。題名だけでまる。猫にかまけて。とか二重丸。おれは猫だぜ。さんじゅうまる!
せきぐちがもとが何色かわからないつなぎを着て前髪を洗濯バサミでまとめて、ゆらゆらスタジオにやってきた。はっきり言ってマジタイプ。
スニーカーにローラーが埋め込まれてるあれ、シャーっと滑るあの魔法みたいな靴。あれがずーっと前から欲しくてちょいちょい探してるんだけど、ださいやつしか見つからない。外国のお菓子みたいな色のやつが欲しい。気まずい沈黙の時とかに、シャーっと逃げたい。
ガストで久しぶりにドローイングしてる。隣の席の小学生くらいの女の子が「ななねー、ななはねー!」と言っててはじめは同じ名前だなーと思ってたけど、だんだんイラっとしてきた。ななという名前の女にはロクなのがいない。
ディカプリオも大きいうさぎみたいなもんで、あの人が菜食主義なんて誰が言ったってわたしは認めないね。あれはどうみても肉を食べている人の体だ。
でも土葬ってのはいいと思う。私は風葬か鳥葬にされたいけど、荼毘にされるよりは土葬がいい。土葬の習慣のあるフィンランドでは雨が降ると手とか出てきちゃうらしい。で、フィンランドのお墓には大きいうさぎが住んでいるらしい。で、あれはぜったい死体を食べてるね、ってまーちゃんが言ってた。
今日はかなりやばかったけど、絵を描いたらだいぶ楽になった。わたしに絵があってほんとによかった。これがなかったら、今ごろコレだぜ、と言ってジャケットをかぶって両手を前に出した。
ブルボン小林とアボンリーへの道と村上春樹にハズレなし。これがきっと私が死んだずっとあとことわざになるのだ。
呪いで思い出したけど、小学生のときに「のろわれたひほう」ごっこがはやってて(私だけ)のろわれた手紙とかのろわれた地図とか描いてたなあ。。
紙をぐしゃぐしゃにまるめてまたのばしてまわりを焦がして古い感じにしてあと呪文(てきとう)をいいながら、体をゆらゆらゆらしながらなにかのりうつった系の顔をして描くという遊び。やっぱり自分でいうのもなんだけど、きもい。
むろいくんが妊娠する夢を見た。おなかがおおきくなってきたから、おなかを押したら、石鹸がたくさんうまれて、それから猫がたくさんうまれた。
好きな色がどんどんかわる。ピンク→黄緑→紺→あざやかな青→とうとう黄色!とうとう黄色までたどり着いた。
jは昔は千と千尋のハクに似てたんだけど、今は三つのだるまの生首に似てる
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いろいろ
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2011-04-25T14:20:56+09:00
2011-04-25T14:20:55+09:00
2011-04-25T14:20:55+09:00
nekotohana
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最近はつぶやいてばかりです→ツイッター@funonanaで検索したらわかるかな]]>
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